テレキャスターの歴史

僕の大好きなギター【テレキャスター】
そんなテレキャスターへ愛を込めて、記事にしてみました。

テレキャスターの歴史です。

◼︎プロローグ

テレキャスはフェンダー社の社長(当時)であるレオ・フェンダーとジョージ・フラートンの2人が考案したギターです。

ジョージ・フラートンは後にG&Lという会社をレオ・フェンダーと共に作ります。
つまり、Gの方です。

テレキャスはフェンダー社初のギターであり、世界初の量産型エレクトリックギターです。
(正確にはテレキャスではないのですが、その話は後ほど…)

ギターを作る前のフェンダーは、ラップスチールギターを作っていました。

◼︎ラジオから楽器制作へ

レオがラジオの修理屋をしていたのは有名な話ですよね。
10代の頃より電子工学に興味があり、当時目新しかったラジオに興味を持ったことから
1938年にフェンダーラジオサービス社を開業します。

レオのお店は次第に評判を呼び
地元のミュージシャン達が集まるようになった事から、当時人気だったラップスチールギターの修理を請け負う事となります。

ラップスチールギターとは、ハワイアンギターとも呼ばれ
1930年代ごろから大流行した楽器です。
弦は6本、プレーヤーは椅子に座り、楽器を膝の上に乗せて演奏します。
(僕はいつかラップスチールギタリストとバンドがしたいです)

人気が高まると音楽人口が増加し、音楽は発展します。

次第に大音量を求められるようになり
ピックアップを搭載し、アンプから音を出力する製品が出てきました。

レオのお店には、そういったアンプやエレクトリックラップスチールギターの修理が舞い込むようになったのです。

その中にレオの人生を大きく変える人物がいました
クレイトン・オーア・カウフマンという人物で
地元で有名なミュージシャンです。
あだ名はドクさんといいます。

ドクとレオは次第に意気投合していき
レオは、自分のアイディアをドクに話して聞かせました。

そのアイディアとは、ラップスチールギターに取り付ける新しいピックアップの構造です。

そのアイディアに感動し、いける!と思ったドクは、レオと新しい会社を立ち上げることを提案します。

K&Fマニャファクチュアリングコーポレーション社です。
1945年ごろの事です。

K&Fは、新しいピックアップを搭載したラップスチールギターや
それに組み合わせるアンプを開発し販売しました。

次第に売り上げを伸ばすK&F社だったのですが
大口の注文が入った時に、突然ドクは会社を辞めたいと言ってきます。

事業が拡大するということは、リスクも高まるということです。
ドクはそのリスクが不安だったんです。

ということで、レオは1人で会社を経営することになりました。

フェンダー社の誕生です。

ちなみに、フェンダー社は今後世界一のモンスター企業に成長するわけですが
ドクは、ひがんだりすること無く
レオとは生涯友人でいたそうです。

◼︎ラップスチールギター時代

フェンダー社のラップスチールギターは加速的に販売実績を伸ばしていきます。

てか、ラップスチールギターの話長いよう。
とか思いますよね?
早くテレキャスの話をせんかい!と…

しかしですね、このラップスチールギターが重要なのです。
レオは突然テレキャスの構造を思いついたのではなく
ラップスチールギターの技術をスパニッシュギターに活かしたのです。
(スパニッシュギターとは、いわゆる今のギターのこと)

当時のフェンダーラップスチールギターは、パイン材を使ってソリッドボディで製作されていました。
ピックアップの開発も進み、6本各弦に一つのマグネットを持った製品も作られます。

このピックアップが、後のシングルコイルピックアップです。

当時、フェンダーが製造していたラップスチールギターを見てみてください。
ヴォリュームノブやコントロールノブなど、テレキャスとの共通点を見つけることができるはずです。

また、レオの考案するラップスチールギターは、他社にないアイデアも豊富でした。
カッタウェイ付きのものや、配線に工夫を凝らしたものなど様々なアイデアを市場に送り出したのです。

全米で人気を博したフェンダー社のラップスチールギター
この勢いは、飛ぶ鳥を落とすかの如く拡大して行きます。

そんな中、マーケティング部門ではフェンダー社初のスパニッシュギターの開発を検討し始めます。

第二次世界大戦後、エレクトリックスパニッシュギターは世間の人気を集めていました。
ギブソン社も、ESシリーズを発表するなど
ギターにピックアップを搭載したモデルが次々と世に出たのです。

しかし、当時のエレクトリックスパニッシュギターは
従来のアコースティックギターを元にしており
ホローボディにピックアップを一つ付けるという構造がほとんどでした。

そのため、アンプから出力されるギターの音は
大音量を出せるようにはなったのですが、フィードバックを発生させ
ヴォリュームを思うように上げることができないという問題を抱えていたのです。

しかし、フェンダー社のエレクトリックラップスチールギターは
澄んだ音を大音量で鳴らすことができました。

レオは、この技術をスパニッシュギターに取り入れることができると考えたのです。

◼︎ソリッドギターの開発

実は、レオは1943年頃から、ソリッドギターの構想を持っていました。
ドクと共にラップスチールギターを制作していた頃
新しいピックアップの試作機として、ソリッドボディのスパニッシュギターを制作していたのです。

一方、同じようにソリッドスパニッシュギターを開発したメーカーもありました。

リッケンバッカー社は、1930年代に他に先駆け
ソリッドスパニッシュギターを発売しています。
しかし、人気は伸びず販売中止になります。

また、ギタリストのレスポールも
自身でソリッドボディのスパニッシュギターを制作しています。
このアイデアは、後にギブソン社から製品化されるのですが
この頃はまだ、そこまで行き着いてはいませんでした。

つまり、市場にも受け入れられ
かつ、大量生産されたエレクトリックスパニッシュギターは
まだ開発されていなかったのです。

レオは、大量生産できるソリッドギターの開発を決意します。

この時期、レオに多大な影響を与える人物がいます。
カリフォルニアでギター制作やオートバイデザイナーをしていた、ポール・ビグスビーです。

ビグスビーは、地元の有名ギタリストのマーク・トラビスの依頼で
ソリッドギターを制作しています。

このギターは、とても革新的なギターで
ハイポジションが弾きやすいカッタウェイや
チューニングが安定するための片側6連ペグを採用していました。

このデザインは、マークのアイデアともビグスビーのアイデアとも言われていますが
レオが、このギターを目にしたのは事実ですし、フェンダー社の広報担当が手紙に
「レオがコピーしたモデルは素晴らしかった」と綴っています。

しかし、レオが作ったギターを単なるコピーと称するのは可哀想です。
なぜなら、レオ独自のアイデアが凝縮されていますし
レオの理想の音がしっかり反映されており
半世紀以上経った今でも、その個性は特別な存在なのですから

レオが目指した理想の音は、ラップスチールギターにありました。

低音は引き締まった鈴のような音色
高音は煌びやかで透き通る音色
各弦が一つ一つクリアに聴こえ
誰もがうっとりする極上のクリーントーンを目指したのです。

◼︎ジョージ・フラートンとの協力

ギタリストであり、デザインの才能もあったフラートンは
フェンダー社初のスパニッシュギター開発に、多大な影響を与えます。

ギタリスト目線で、弾きやすいボディ形状やネック形状へのアドバイスを行ったのです。

レオはギタリストではありませんから
この辺りの深い知識は持ち合わせていませんでした。

ラップスチールギターや電子工学の知識を持つレオ
ギタリストとしての知識とデザインセンスを持つフラートン
この2人がチームを組むことで、フェンダー社初のスパニッシュギターは誕生するわけです。

◼︎試作機

試作機1号は、パイン材のソリッドボディに
両側3連のペグ(この頃はまだ、片側6連ペグのアイデアを採用するか悩んでいたらしい)
メイプルのソリッドネックは、ボルトでボディへ取り付けられ
各弦に一つのポールピースを持つピックアップ
白いボディに黒の小さなピックガード

今のテレキャスとは少し違いますが
ほぼ完成形が出来上がってると言えるでしょう。

ここで僕が注目したのが、ネックの構造です。

レオは、自身が制作したメイプルソリッドネックに絶大な自信がありました。
それまでは、マホガニーがネック材として一般的でメイプルを使用することは革新的だったのです。

硬質なメイプル材のチョイスや、しっかり乾燥させて作るネックは絶対に曲がらない!
そういう思いから、トラスロッドは採用しなかったのです。

この仕様は、完成形として市場に出るエクスワイヤにも受け継がれます。

周りの反対はあったようですが
レオの頑固さや、プライドを持って仕事をしていた様子が伺えるエピソードだと思います。

試作機2号では、片側6連ペグが採用されます。
ラップスチールギターに使用していた3連ペグを改造し、二つを繋げる形で片側6連ペグにしたのです。

このアイデアを採用するにあたり
ヘッド部分に段差を付け、1.2弦にはテンションをかせぐ為にストリングスガイドを取り付けました。

ネックは弾きやすいように、少し細みに改良され
ブリッジは、各弦のイントネーションを整えるために3ウェイブリッジが採用されます。

この3ウェイブリッジは、今ではイントネーションの悪いパーツとして有名ですが
レオが1番苦労した部分でもありました。

アコースティックギターにピックアップを取り付けたギターでは
ボディの鳴りが作用し、イントネーションの悪さが目立ちません。
しかし、ソリッドギターでは、ダイレクトに音が出力されるため
このイントネーションの悪さが目立っていたのです。

また、ブリッジユニットはピックアップのマウウトユニットとの一体型の構造にしました。
こうすることで、生産効率を上げようとしたのです。

また、弦はボディの裏から通すことにしました。
これは、ラップスチールギターからのアイデアで
ボディの振動を豊かにする事は証明済みでした。

この試作機2号は、現在のテレキャスとほぼ同じ作りになっています。
ボディ材やピックアップの数、コントロールプレートなどの違いはありますが
その他の部分では、ほぼ同じと言っていいでしょう。

◼︎完成形と販売開始

フェンダー社のマーケティング担当は、1949年には早期販売開始を目指し
レオに再三急ぐように指示しています。

しかし、レオは1950年までゆっくり作業を進め、納得いく形で市場に送り出そうとしていました。

成長していくスパニッシュギター市場の動向を見ながら、2ピックアップの開発も始めていましたが
急いで販売開始をしたかった為、1950年春の製品カタログに、1ピックアップのエクスワイヤが登場します。

最初のエクスワイヤは、軽量なパイン材ボディで、木材の節を隠す為に黒く塗りつぶされました。
ネックはメイプルソリッドネックで、トラスロッドは入っていません。
コントロールプレートは弦と平行になるように配置され
プレス加工スチールにクロームメッキされた、ブリッジカバーが付きました。

エクスワイヤは、当時のギタリストに衝撃と賞賛で迎えられます。

軽量なボディ、抱えやすく弾きやすいシェイプ、明るく澄んだ音、なによりフィードバックとは無縁でした。

このエクスワイヤの成功は、フェンダー社の成功にとどまらず
半世紀以上も先まで、音楽の可能性を広げる事となる大事件です。

今日、高性能のギターが多数販売され
多くのギタリストが新しい音楽を創造していく基礎を作ったわけです。

テレキャスを使って、今だに新しい音楽が生まれているのですから
レオの発明がいかに素晴らしかったか、想像することができます。

◼︎エピローグ

これから先のテレキャス史はみなさんご存知の事と思います。

2ピックアップで、アッシュのボディ材、トラスロッドを埋め込んだメイプルネックのブロードキャスターが販売されます。

しかし、ブロードキャスターという名前が、グレッチ社の製品と同じだとクレームがついたため
一時期、名前無しで販売もされました。
これがノーキャスターです。

その後、テレキャスターと改名され
今日まで一度も生産中止になること無く、生産され続けているのです。

ラップスチールギターから始まり
テレキャスターに至るまで、レオが持ち続けた信念。

生産効率と、手軽な修理、そして素晴らしいサウンドの融合。

テレキャスターをポロリと鳴らす時
レオやフラートン、そして多くの人々のアイデアと努力の結晶が音になり響くのです。

僕のギターは、J.W.Blackという元フェンダーマスタービルダーの作品ですが

レオがテレキャスターに込めた想いは
今でも多くのビルダーに受け継がれ
多くの素晴らしいテレキャスターモデルが製作され
多くのギタリストを、素晴らしい音楽へ導いているのです。

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